創世記 35:3 そうして私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう。」
35:9 こうしてヤコブがパダン・アラムから帰って来たとき、神は再び彼に現われ、彼を祝福された。
35:13 神は彼に語られたその所で、彼を離れて上られた。
「お父さん、ただいま」シェケムでの苦い人生の経験を経て、ヤコブはついに神の家ベテルに戻ってきました。
ヤコブは神と相撲を取り、自我の強さゆえにキリストを十字架につけてしまいましたが、腰を砕かれたヤコブにキリストが再び現れ、ヤコブを祝福してから天に上られます。復活されたイエス様もペテロたちに先にガリラヤに行って待っているからと言われました。
創世記 35:10 神は彼に仰せられた。「あなたの名はヤコブであるが、あなたの名は、もう、ヤコブと呼んではならない。あなたの名はイスラエルでなければならない。」それで彼は自分の名をイスラエルと呼んだ。
ヤコブが自分のことを「イスラエル」と呼ぶ自信をやっともちました。この自信はヤコブの強い自我から来るものではなく、ヤコブの砕かれた腰から来るものでした。
苦難は、私たちを神への従順に導く養育手段。苦難を経て、新しい名前で呼ばれる人生を歩み始めます。ヤコブは30年を要しました。もう100歳になっているのです。「イスラエル」と呼ばれるヤコブの歴史はここから始まります。
昨夜は弟子訓練のセミナーで、還暦を過ぎてから愛のある家族関係を築き直し、会社でも部下から慕われ、取引先からも尊敬されるようになったお父さんの証を聞きました。どんなに歳を重ねても帰ってくる場所があります。「神様、ただいま。遅くなりましたが。」