創世記49章8節~12節「ユダ―勝利者であるキリスト」

創世記49:9-10  ユダは獅子の子。わが子よ。あなたは獲物によって成長する。雄獅子のように、また雌獅子のように、彼はうずくまり、身を伏せる。だれがこれを起こすことができようか。王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。

かつてヨセフを売り渡したユダは兄弟たちから離れて下って行き、カナン人の女をめとる罪の生活に入っていきましたが、息子の嫁タマルとの間にペレツが生まれ、キリストの家系につながる祝福に預かることになります。この祝福は、売り渡したヨセフの目の前で自分はベニヤミンの身代わりになって奴隷になると申し出た、あの改悛の実ではないでしょうか。

最初のカナン人との姦淫の罪が、カナンを征服することで克服されていく。「あなたの手は敵のうなじの上にあり」―罪という敵に対する勝利です。

ヨセフが演じたキリストの苦難の役割が、ユダが演じるキリストの身代わりの役割に引き継がれていきます。バトンが渡され、この先はヨセフではなく、ユダが救世の主人公になっていきます。

ユダは罪に対する十字架の身代わりの死の勝利者であるキリストを表します。救い主であり、王の王であるキリストを。キリストは私たちを罪から救い出すために下ってこられた。それがクリスマス。感謝の贈り物を献げます。