創世記49章1節~7節「主こそ、私の受ける分」

創世記 49:5  シメオンとレビとは兄弟、彼らの剣は暴虐の道具。

49:7  のろわれよ。彼らの激しい怒りと、彼らのはなはだしい憤りとは。私は彼らをヤコブの中で分け、イスラエルの中に散らそう。

シメオン族とレビ族には割り当て地がありません。彼らは怒りの感情を制御できませんでした。シメオン族は、ユダ族の割り当て地の中で点在して住むことが許された、バアル礼拝と姦淫の罪のために、やがて半減します。

それでも、神はレビ族を憐れみました。レビ族からモーセとアロンを輩出しました。レビ族は、主を礼拝する幕屋に仕える奉仕にあずかりました。相続地はありませんでしたが、主ご自身の近くにいるという分け前を受け取りました。レビ族は献身によって祝福を受け取り直したのです。

出エジプト 32:26  そこでモーセは宿営の入口に立って「だれでも、主につく者は、私のところに。」と言った。するとレビ族がみな、彼のところに集まった。

主ご自身が私たちの相続地です。「主よ、それで十分です!」

哀歌 3:22-24  私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。主こそ、私の受ける分です。」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。