創世記35章16節~29節「死の向こう側」

創世記 35:16  彼らがベテルを旅立って、エフラテまで行くにはまだかなりの道のりがあるとき、ラケルは産気づいて、ひどい陣痛で苦しんだ。

35:19  こうしてラケルは死んだ。彼女はエフラテ、今日のベツレヘムへの道に葬られた。

ラケルの死は壮絶です。激しい陣痛の末にベン・オニ(「嘆きの子」)を産み落として死に絶えます。生まれた子どもを抱くことなく、死にゆく母の悲痛な嘆き、母の胸の鼓動を一度も聞くことのない子の孤独な叫びは、今でも聞こえてきます。

エレミヤ 31:15  主はこう仰せられる。「聞け。ラマで聞こえる。苦しみの嘆きと泣き声が。ラケルがその子らのために泣いている。慰められることを拒んで。子らがいなくなったので、その子らのために泣いている。」

しかし、壮絶な死の向こう側には「ベツレヘム」がありました。

私たちはベツレヘムへの道の途上にあります。そこには苦しみがあります。悩みがあります。しかし、その向こう側には、ベツレヘムでお生まれになったキリストが待っておられます。

誰でも人生の最後の川を渡るときが来ます。人生の最期を、苦しみと痛みをもって闘い終えます。しかし、死は勝利に飲み込まれます。そのとき神の栄光の御座の輝きを見、主がすべてを統べ治めておられることを知るのです。

ヤコブをベン・オニをベニヤミン(「わが右の手」)と名づけ直します。わたしたちの死ぬべき体を生かしてくださる復活の主が、私たちの弱さのうちに現れ、力づけてくださっていると感じます。