創世記36章1節~43節「渇望する人生」

創世記 36:6,7  エサウは、その妻たち、息子、娘たち、その家のすべての者、その群れとすべての家畜、カナンの地で得た全財産を携え、弟ヤコブから離れてほかの地へ行った。それは、ふたりが共に住むには彼らの持ち物が多すぎて、彼らが滞在していた地は、彼らの群れのために、彼らをささえることができなかったからである。

父イサクから、ヤコブには「天の露と地の肥沃」という祝福が約束され、エサウには「地は肥えることなく、上から天の露もない」というのろいしか約束されなかったのに、現実を見ると、エサウが先に豊かになり、エサウの子孫からエドムの王が生まれます。一方、ヤコブはその後、苦難の歴史を歩み、イスラエルの王国ができるのははるかに先のことです。

神に選ばれたアブラハム、イサク、ヤコブはこの世では約束のものを手に入れられませんでした。

地上の富は、努力すれば得られ、そこそこ満足もできます。天からの祝福は、がんばれば手に入るというものでありません。

手を伸ばしても得られない渇望の人生(ヤコブ的人生)と、手を伸ばせば何でも得られ満たされた人生(エサウ的人生)と、どちらが幸せで、どちらが豊かなのか。求めても得られない、切ない思いを抱き続ける人生は、深く、豊かである気がします。

ローマ 8:18  今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。