創世記31章17節~42節「こそこそから威風堂々へ」

創世記 31:19,20  そのとき、ラバンは自分の羊の毛を刈るために出ていたので、ラケルは父の所有のテラフィムを盗み出したまたヤコブは、アラム人ラバンにないしょにして、自分の逃げるのを彼に知らせなかった。

ラケルはラバンからテラフィムをこっそり盗み、ヤコブはラバンには知らせずにこっそり逃げました。夫婦とも「こっそり」の罪がありました。

テラフィムは実印みたいなもので、実印があれば家の財産を全部自分のものにできます。ラバンはテラフィムを取り返すために執拗にヤコブを追い、隅々まで探しますが、テラフィムはどこにも見つかりません。

創世記 31:36  そこでヤコブは怒って、ラバンをとがめた。ヤコブはラバンに口答えして言った。「私にどんなそむきの罪があって、私にどんな罪があって、あなたは私を追いつめるのですか。

ヤコブがラバンに口答えしたのは初めてのこと。ヤコブはラバンに恨みつらみを全部吐き出すことができました。そして最後に神の正義の側に立って、 威厳をもってラバンにさばきを宣告するまでになります。

創世記 31:42  もし、私の父の神、アブラハムの神、イサクの恐れる方が、私についておられなかったなら、あなたはきっと何も持たせずに私を去らせたことでしょう。神は私の悩みとこの手の苦労とを顧みられて、昨夜さばきをなさったのです。」

ヤコブはラバンに打ち勝ち、ラバン(この世)を振り切りました。この世の攻撃から守ってくださるのは神ですが、この世から決別する決心をするのは自分です。

ラケルがテラフィムをこっそり盗まなければ、ヤコブがラバンと正面衝突する機会はなかったと思います。神様がラケルを用いてヤコブのために仕掛けた大舞台だったのかもしれません。

こっそり逃げた自分をそのままにしていたら、後ろめたい気持ちをいつまでも引きずり、次に進めません。「こそこそ」を捨てて、この世に「堂々と」向き合うことができますように!