創世記31章1節~16節「見ておられた神」

創世記 31:3  主はヤコブに仰せられた。「あなたが生まれた、あなたの先祖の国に帰りなさい。わたしはあなたとともにいる。」

ヤコブがラバンに申し出た「私を去らせ、私の故郷の地へ帰らせてください。」という願いがついに神の命令に置き換わりました。自分の願いと神の御心が一致すると動きは早いです。ヤコブがラバンのもとにいる20年の間、神からの直接の語りかけはありませんでしたが、ついに神様が動き出しました。

創世記31:11  そして神の使いが夢の中で私に言われた。『ヤコブよ。』私は『はい。』と答えた。

「わたしはベテルの神。」天のはしごの上に立つベテルの神との衝撃の出会いから空白の20年を経て、ベテルの神は今は、ヤコブのかたわらに立って、ヤコブに語りかけます。ヤコブは「私はここにおります」と答えます。

創世記 31:12  ラバンがあなたにしてきたことはみな、わたしが見た。

ヤコブの20年間を神は知らなかったのでも見ていなかったのでもありません。主はヤコブの苦難を天からご覧になっておられました。「見る」。ヘブル語でラーという言葉が使われています。これには「備える」の意味もあります。「主の山の上には備えがある。」は「主の山の上では見られている。」とも訳せます。主がご覧になるところに必ず主の備えがあります。見ておられる神が先に行って備えてくださっているに違いない。そう信じて前を歩みたいと思います。