創世記30章9節~24節「ラケルのグラウンド・ゼロ」

創世記30:14,15  さて、ルベンは麦刈りのころ、野に出て行って、恋なすびを見つけ、それを自分の母レアのところに持って来た。するとラケルはレアに、「どうか、あなたの息子の恋なすびを少し私に下さい。」と言った。レアはラケルに言った。「あなたは私の夫を取っても、まだ足りないのですか。私の息子の恋なすびもまた取り上げようとするのですか。」ラケルは答えた。「では、あなたの息子の恋なすびと引き替えに、今夜、あの人があなたといっしょに寝ればいいでしょう。」

これまでのところ、レアには4人の子どもと女奴隷に産ませた2人の子ども、ラケルには女奴隷に産ませた2人の子どもがいました。6対2です。サッカーで言えば、ハーフタイムの後、「恋なすび」(妊娠促進剤)を手にしたラケルに大きなチャンスが訪れます。恋なすびさえあれば、レアのように立て続けに4人産むこともでき、同点に追いつけます!

ラケルは恋なすびと引き替えに愛する夫を差し出すという人生最大の賭けに出ます。

これが裏目に出ました。ユダを産んだ後不妊だったレアの方がみごもってしまい、さらに2人の子どもを産みます。8対2と大きく離されます。レアはこれで守りに入りました。サッカーの後半戦でこの点差を埋めるのはほぼ不可能です。

ラケルは恋なすびをもってしても妊娠できなかった自分に絶望したに違いありません。女奴隷を使ったし、恋なすびも使い切った。ラケルの人間的手段はもう尽きました。ラケルの「グラウンド・ゼロ」です。

神が動いたのはそのときでした!

創世記30:22  神はラケルを覚えておられた。神は彼女の願いを聞き入れて、その胎を開かれた。

胎が閉じるのも開くのも、人生の扉が閉じるのも開くのも、病を患うのも癒えるのも、神のわざです。神のわざは私たちが最も弱いときにあらわれます。

2コリント12:9  しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。

ラケルが産んだヨセフは約束の子。アブラハム、イサク、ヤコブからバトンを引き継いだ「4代目」となり、この4代目は約束の地に戻ってきます(ヨセフはエジプトでミイラになって400年の歳月を経て運ばれて来たのでした!)。

1歴代誌 5:1,2  イスラエルの長子ルベンの子孫・・彼は長子であったが、父の寝床を汚したことにより、その長子の権利はイスラエルの子ヨセフの子に与えられた。系図の記載は長子の権利に従って行なうものではない。ユダは彼の兄弟たちにまさる者となり、君たる者も彼から出るのであるが、長子の権利はヨセフに帰したからである。・・ 

創世記 15:13,14,16  そこで、アブラムに仰せがあった。「あなたはこの事をよく知っていなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられようしかし、…彼らは多くの財産を持って、そこから出て来るようになる。…そして、四代目の者たちが、ここに戻って来る。…」 

神は人間の弱さを通してでも、ご自身の聖なる計画を実行に移すことがおできになります。人間の失敗によって神の計画が台無しになることは決してありません。それは神の恵みとあわれみであるとつくづく思います。