創世記24章1~27節「イサクの花嫁が見つけられる」

創世記 24:2,4  そのころ、アブラハムは、自分の全財産を管理している家の最年長のしもべに、こう言った。「…あなたは私の生まれ故郷に行き、私の息子イサクのために妻を迎えなさい。」

これは、アブラハム=父なる神が、イサク=子なる神キリストのために、花嫁=教会を見つけるために、天の全財産を管理している神の家のしもべ=助け主なる聖霊が遣わされる話です。

創世記24:15,16  こうして彼がまだ言い終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せて出て来た。…この娘は非常に美しく、処女で、男が触れたことがなかった。彼女は泉に降りて行き、水がめに水を満たし、そして上がって来た。

アブラハムのしもべの前に、申し合わせたかのようにリベカが現れ、しもべの祈りが答えられる、美しく、心打たれるシーンです。祈りの内に聖霊によって導かれるというのはこういうことだなと思います。このすべてが前もって準備されて起きたかのような出来事に、何の人間的な画策もなければ、何の人間同士の駆け引きもありません。ただただ聖霊の静かな流れと促しとがあるだけです。聖霊は御自身が動いていることすら、私たち人間に悟らせません。それはそっと、そっとですが、確実で間違いがありません。

自分の人生、特に公園の路傍伝道でトラクトを受け取り、教会に行った自分を考えると、自分は聖霊に見つけられたんだなとつくづく思います。私は聖霊によって探し出され、見つけられ、キリストのもとに連れて行かれました。

私たちは神によって見つけられたのであって、私たちが最初に神を見つけたのではありません。

ヨハネ15:16  あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、…

第1ヨハネ4:10  私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、…

神に見出されるのは幸いな人生です。