創世記23章1~20節「サラの死と向き合ったアブラハムの本気度」

創世記23:4  「私はあなたがたの中に居留している異国人ですが、あなたがたのところで私有の墓地を私に譲っていただきたい。そうすれば私のところから移して、死んだ者を葬ることができるのです。」

(中略)

23:19  こうして後、アブラハムは自分の妻サラを、カナンの地にある、マムレすなわち今日のヘブロンに面するマクペラの畑地のほら穴に葬った。

23:20  こうして、この畑地と、その中にあるほら穴は、ヘテ人たちから離れてアブラハムの私有の墓地として彼の所有となった。

サラはアブラハムから切り離されてマクペラのほら穴に埋葬されましたが、マクペラの畑地はヘテ人から離れてアブラハムの所有になりました。どちらも「離れて」"out of"に相当する同じヘブル語が使われています。単なる言葉の遊びではありません。

愛する妻サラの死は、人生の終わりではなく、神の約束の実現の始まりでした。アブラハムは失ったのではなく、得たのです。

生まれ故郷ではなく、神の約束の地に骨を埋める覚悟を決めたアブラハムに本気度を見ました。日本に骨を埋めた宣教師を多く見てきました。私の両親は80歳になってから、先祖代々の墓を処分し、教会に通い、教会の墓地に骨を埋める一大決心をしました。墓地は私たちの心のふるさとがどこにあるかを露わにします。

ヘブル11:15,16  もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。

ところで、アブラハムはネゲブ砂漠のベエル・シェバに住んでいたのに、サラはそこから40キロも離れたヘブロンに住み、そこで死んでいます。夫婦仲が悪かったとは思えず、別居の理由はわかりません。ヘブロンは、後にイスラエルの民がカナンの地を征服する際の要所であり、ダビデがエルサレムの前に7年間王として治めた、エルサレムに次ぐ第2の都市です。また、マクペラのほら穴は「マムレ」に面していたとも書かれています。マムレと言えば、アブラハムがロトと別れて天幕を移したとき、主の祭壇を築いた場所であり、主=キリストに出会って、ロトが住むソドムを滅ぼさないでくださいと懇願ととりなしの祈りをした場所でもあります。

サラが、アブラハムから離れヘブロンに住んだのには何か神の計画があったように思います。そして、アブラハムがここに一族の墓地を購入する決意を固めたのにも深慮があります。

教会建設の思いと重なりました。東京に教会を建てるのは果てしなく遠い目標に感じていました。アブラハムにとっても、神が約束された広大な土地が自分のものになるのは、孫の世代まで生きていても無理でした。しかし、アブラハムはマクペラの畑地を自ら大金をはたいて買いました。マクペラの畑地は、私たち教会にとっては「つくば」の土地かもしれません。未来の大きな約束を信じているからこそ、離れた小さな土地に先行投資することができます。

アブラハムは神の約束に先行投資しました。約束をただぼんやり、そうなったらいいなあと指を加えて待つのではなく、自らアクションを取り、神の約束に応答したのです。本気度が問われています。