創世記22章15~24節「キリストが御自身にかけて誓われたこと」

創世記 22:15-17  それから主の使いは、再び天からアブラハムを呼んで、仰せられた。「これは主の御告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。

主の使い=キリストが、アブラハムの命がけの献身に答えて、御自身にかけて誓われました。「あなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。」と。

あなたの子孫とは、キリストを信じ、キリストに連なり、キリストの体を形成する群れ、すなわち「教会」です。このことは、後段の20~23節で、イサクの花嫁であるリベカを神が用意されたことからも明らかです。

創世記22:20-23  これらの出来事の後、アブラハムに次のことが伝えられた。「ミルカもまた、あなたの兄弟ナホルに子どもを産みました。(中略)ベトエルはリベカを生んだ

アブラハムがイサクを献げた後、イサクが花嫁リベカを迎え入れる時まで、イサクは姿を消して聖書に登場しません。イサクは、あのとき死んで、復活し、昇天して今は地上にいないキリストを表しているからです。そのキリストは、花嫁である教会が用意され、整えられたときに再臨されます。

主の使い=キリストが、アブラハムへの応答として、御自身にかけて「あなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。」と誓われことが、キリストの花嫁である「教会」のことであったとは、驚きました!

マタイ16:18  ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません

神が誓ってくださる人生ほどすばらしいものはありません。その誓いは私たち教会のことだったことを知り、感動に心震えます。キリストは命がけで教会を愛しておられます。

エペソ5:25-27  夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。

2コリント11:2  私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。

キリストの花嫁として、今は姿が見えないキリストを待ち望みたいと思います。

1 Peter 1:8  あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。