創世記21章22~34節「祭司となったアブラハム」

創世記 21:25,26  また、アブラハムは、アビメレクのしもべどもが奪い取った井戸のことでアビメレクに抗議した。アビメレクは答えた。「だれがそのようなことをしたのか知りませんでした。それにあなたもまた、私に告げなかったし、私もまたきょうまで聞いたことがなかったのです。」

アビメレクは嘘をついています。アブラハムが砂漠の中で掘り当てた井戸の価値がアビメレクの目に留まらないはずがなく、しもべたちが井戸を奪い取ったことがアビメレクと将軍ピコルの耳に入らなかったはずはありません。いや、むしろ、この井戸をアブラハムから奪い取ることが、アビメレクと将軍ピコルの指示であったとさえ、私は思います。(そのことに気づいたのは、国会での森友学園の追求の際、現場に責任を押しつけようとしたエリート官僚たちの姿を見たからですが。)

アブラハムはアビメレクの嘘を見破ったはずです。しかし、アブラハムはアビメレクを責める代わりに、驚く行動に出ました。

創世記 21:28-30  アブラハムは羊の群れから、七頭雌の子羊をより分けた。するとアビメレクは、「今あなたがより分けたこの七頭雌の子羊は、いったいどういうわけですか。」とアブラハムに尋ねた。アブラハムは、「私がこの井戸を掘ったという証拠となるために、七頭雌の子羊を私の手から受け取ってください。」と答えた。

アブラハムがアビメレクのために用意したのは「七頭の雌の子羊」でした。これはアビメレクが犯した罪を贖うためのいけにえでした(レビ4:27-35)。

アビメレクの罪を糾弾するのではなく、アビメレクの罪を赦すために、アブラハムは七頭の雌の子羊を用意しました。

「七頭の雌の子羊を私の手から受け取ってください。」

本当はアビメレクが用意すべき罪のためのいけにえでした。それをアブラハムが用意して受け取ってくださいと言ったのです。愛がなければ、できないことだと思います。政治家や芸能人の罪を寄ってたかって糾弾する世の中ですが、罪人に愛と赦しの手を差し延べるのは私たちクリスチャンの祭司としての務めです。

第1ペテロ 2:5  あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。