創世記21章14~21節「絶体絶命の危機に介入される神」

創世記 21:15,16  皮袋の水が尽きたとき、彼女はその子を一本の潅木の下に投げ出し、自分は、矢の届くほど離れた向こうに行ってすわった。それは彼女が「私は子どもの死ぬのを見たくない。」と思ったからである。それで、離れてすわったのである。そうして彼女は声をあげて泣いた。

「矢の届くほど離れた向こう」イシュマエルは父アブラハムと別れ、母ハガルからも離れていました。近くにいるのに会うことができず、助けてもくれないという孤立感。イシュマエルは、父との縮めることのできない距離を埋めるために荒野で弓矢を放つ者になりました。

しかし、神はイシュマエルを捨て駒のように扱うことはありませんでした。神はイシュマエルもアブラハムの子であるから、大いなる国民にすると約束されました。そして、その約束を実行に移すために神はこの絶体絶命の危機の瞬間に介入されました。

史上初の米朝首脳会談が開かれます。歴史が動くのか。世界が固唾をのんで見守る瞬間がまもなく訪れます。

世界の歴史は政治家や国家元首らの野望の産物かもしれませんが、神は人間の野心すらも用いられて、世界に介入され、神御自身の計画を実行に移されることがあります。

米朝首脳会談の成果の一つに拉致問題の解決が折り込まれる可能性があります。それは日本人の心を大きく揺さぶるでしょう。

神は、エジプトのパロの心を変え、バビロン帝国のネブカデネザル王の心に働きました。神は、北朝鮮の金正恩の心も動かすことがおできになります。

神が私たちの人生に、世界の情勢に、どんな奇跡をなさるのか期待して見ていきたいと思います。