創世記 17:4,5 「わたしは、この、わたしの契約をあなたと結ぶ。あなたは多くの国民の父となる。 あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。
昨夜の聖書の学びではアブ・ラムがアブ・ラハームに名前が変えられたのは、肉の無力と限界を知ったアブラムに神の息吹である「ハー」(霊)が吹き込まれたからであるという話をしました。神のいのちの息(霊)があって初めて、私たちは神の前に<生かされる>者となります。
神の前に生かされる人生を歩み始めたアブラハムに与えられたのは、神の「I will」(わたしは~する)宣言(アブラハム契約)です。「わたしは、あなたの子孫をおびただしくふやし」、「わたしは、…代々にわたる永遠の契約として立てる。」「わたしは、…カナンの全土を、…永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。」 とこしえまで続く神の確かな約束であり、いまだ全部は実現しておらず、現在進行形です。
今朝、ユニクロ社長の柳井さんのインタビュー記事を読みました。「内向的で、経営者に向いていなかった」「いつも心が折れそう」という告白には驚きました。山口の家族経営の小さな紳士服店を引き継いで世界企業に育てた柳井さんの姿は、家族だけを連れて故郷を飛び出し、今は信仰の父として称賛されるアブラハムと重なりました。柳井さんは「経営は、最終ページから本を読むのと同じです。つまり、結論が先というか、何をするのか決めて実行することなんです。」と言っています。「日本人はほとんどそうだろうけど、毎日努力してたらある程度成功する、と思うでしょう。でもね、努力してても、努力の方向性が違ったらダメ。(中略)結局、あなたは何がしたいのか、人生をかけて何がしたいのかが決まらない限り、ビジネスはうまくいかないと気付いた。それからです。ちょっと経営が分かってきたのは」と言います。
アブラハムの人生はこれだなと思いました。ゴールが先にある。人間の想像を越えた神の壮大な計画が先にある。アブラハムはゴールからスタートした。
ヘブル 11:13 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。
アブラハムはただ神に全き信頼を置いてゴールを目指して前に進むだけでした。アブラハムの信仰の偉大さはそこにあると思いました。スタートする前に、ゴールは設定されているのか、考え直してみます。