創世記16:7,8 主の使いは、荒野の泉のほとり、シュルへの道にある泉のほとりで、彼女を見つけ、「サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」と尋ねた。
「主の使い」(受肉前のキリスト)は、荒野の「泉」(命の泉であるキリスト!)のほとりで女奴隷ハガルを見つけました。
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』
ゴーギャンが晩年タヒチで人間の生と死を描いた有名な作品です。彼はこれを描き上げて自殺しようと考えていました。
「あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」
キリストだけが人間のこの究極的で根源的な問いの答えを知っておられます。
ヨハネ8:14 イエスは答えて、彼らに言われた。「もしこのわたしが自分のことを証言するなら、その証言は真実です。わたしは、わたしがどこから来たか、また、どこへ行くかを知っているからです。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」
キリストだけが私たちの行くべき道を知っておられます。
創世記16:9 そこで、主の使いは彼女に言った。「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」
人生を見失った女奴隷ハガルの行くべきところは、最初に彼女が遣わされた、あの元の場所でした。
そして彼女に与えられたのはとてつもなく大きな祝福でした。
創世記16:10 また、主の使いは彼女に言った。「あなたの子孫は、わたしが大いにふやすので、数えきれないほどになる。」
明日、両親がいよいよ上京します。37年前、私がイエス様を見出した、いや、イエス様が私を見つけてくださった、あの苦しかった家庭が祝福の場所に変えられるように。「わたしが大いにふやす」というキリストの約束を信じます!