創世記14章1~16節「ロトを救出した無条件の愛」

創世記14:14,15  アブラムは自分の親類の者がとりこになったことを聞き、彼の家で生まれたしもべども三百十八人を召集して、ダンまで追跡した。 夜になって、彼と奴隷たちは、彼らに向かって展開し、彼らを打ち破り、ダマスコの北にあるホバまで彼らを追跡した。 

アブラハムはロトを救出するために今のシリアの首都ダマスカスまで敵を追跡しました。たいへんな距離になります。しかも命がけです。

この後も自由と放縦の町ソドムに懲りずに住み続けるロトをアブラハムは何度も助けようとします。ソドムが滅ぼされる前、アブラハムは「あなたはほんとうに、正しい者(=ロト)を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。 」(創世記18:23)と神に抗議し、とりなしの祈りをします。そして最後の最後でためらうロトの手を引いたのは御使いたちでした。「彼(ロト)はためらっていた。すると、その人たちは彼の手と彼の妻の手と、ふたりの娘の手をつかんだ。・・主の彼に対するあわれみによる。」(創世記19:16 )

アブラハムの勇敢で慈愛に満ちた姿に、日曜日に新納先生が話された、終わりの時にペトラに逃げたユダヤ人を世界の軍隊からお救いになり、返り血を浴びる再臨のイエス・キリストの姿がぴったりと重なりました。そして、罪深い町ソドムに住み続けたロトがなぜ新約聖書で「義人」と呼ばれている(2ペテロ2:7,8)のか、その理由もはっきりわかりました。イエス・キリストは罪深い私たちを一方的な恵みで「義人」としてくださり、罪の滅びから救い出してくださいました。アブラハムの姿に、神の無条件で無制限の愛を見て感謝にあふれました。

ローマ 5:8,9  しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。