創世記12章6~20節「決断を迫る場所シェケム」

創世記 12:6,7  アブラムはその地を通って行き、シェケムの場、モレの樫の木のところまで来た。当時、その地にはカナン人がいた。 そのころ、主がアブラムに現われ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」と仰せられた。アブラムは自分に現われてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。 

モレの樫の木のあるシェケムは、カナン人の占いや偶像崇拝の中心地でした。ここで主が「あなたの子孫に、わたしはこの地(=カナン人の地)を与える。」と約束されたのは挑戦的です。アブラムがそこ(=シェケム)に主の祭壇を築いたのも度胸のいることだったと思います。

シェケム」は、この世から決別してまことの神を選ぶよう、信仰者に決断を迫る場所です。

イスラエルの民はシェケムで、神の命令に聞き従うのか、ほかの神々に従うのか、祝福かのろいかの選択を迫られます(申命記11:26-30)。残念ながらイスラエルの民はほかの神々に従うようになっていきます。ソロモンの死後、イスラエル国家の南北分裂が起きた場所もシェケムであり、北イスラエルの王ヤロブアムは金の子牛の偶像を作り、ほかの神々に仕えました。

アブラハムは、この世(カナン人)の神ではなく、まことの神を選び取りました。カナンの地にあってもカナン人のようには生活しませんでした。彼は世に置かれていても世に属する者ではありませんでした。地上では旅人であり寄留者でした。天の都にあこがれをもっていたからです。

ヘブル 11:9,10  信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。 彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。 

私たちの心の中に「エジプト」(地上のものに対するあこがれや執着)が潜んでいないか、天に国籍のある者として生きる選択をしているかどうか。「シェケム」は、今も私たちの目の前にあって、世を選ぶのか、神を選ぶのかの選択を迫っています。

ヨシュア 24:14  今、あなたがたは主を恐れ、誠実と真実をもって主に仕えなさい。あなたがたの先祖たちが川の向こう、およびエジプトで仕えた神々を除き去り、主に仕えなさい。 

24:15  もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」