創世記9章18~29節「ノアの失態と息子たちの取った行動」

創世記 9:22 カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。

9:23 それでセムとヤペテは着物を取って、自分たちふたりの肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔をそむけて、父の裸を見なかった。

聖書はノアの失態を直接には責めていません。ノアは聖書では義人としてしか描かれていません(エゼキエル14:14) 。むしろ、ノアの失態に遭遇することになった三人の息子たちの取った行動の違いとその善し悪しに焦点が当てられます。

父ノアが失態をさらしたとき、長男セム、末っ子ヤペテは父の裸を着物でおおいますが、真ん中の息子ハムは父の姿を言いふらします。カナン(ハムの末っ子)はのろわれ、セムとヤペテは祝福を受けます。

昨夜の学びでは、ある兄弟から実体験にもとづいた解説がありました。長男と末っ子は家族に愛されるが、真ん中の子は父の愛を受けていなかったから、父の悪口を言いふらしたのではないかと。

教会でも神の家族が増え、兄弟姉妹のいろいろな行動、考え方、習慣などに触れる機会が増えていきます。誰かの性格や行動パターンを茶化したり、誰かの悪い習慣や言動を見聞きしたとき、心の中で裁いたり、他のだれかに愚痴を言ったりすることも出てきます。私自身もよく気をつけていないと、ハムのようになってしまうと思いました。おおうとは相手をそのまま受け入れて愛することであり、わたしもキリストの十字架でおおわれていることを忘れてはいけないと思います。

ヤコブ 5:19 私の兄弟たち。あなたがたのうちに、真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を連れ戻すようなことがあれば、

5:20 罪人を迷いの道から引き戻す者は、罪人のたましいを死から救い出し、また、多くの罪をおおうのだということを、あなたがたは知っていなさい。

1ペテロ 4:8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。