創世記8章20~22節「ノアの全き献身と神の慈愛」

創世記 8:20 ノアは、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。

箱舟から出たノアが最初にしたことは、家を作ることでも、家族で 食卓を囲むことでもなく、祭壇を築いて神に出会い、いとも良きものをささげることでした。週の初めの日に教会に集まる私たちにノアと同じ献身の思いがあるのか、考えさせられます。

ローマ 12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

8:21 主は、そのなだめのかおりをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。

神は、洪水の後も、人間の悪が繰り返されることを知っておられながら、二度と洪水によっては地を滅ぼすことはしないと決意されました。人間の側の問題は何一つ変わっていないにもかかわらず、神は人に対する態度を裁きから愛へと変えてくださいました。

イザヤ 54:9,10 「このことは、わたしにとっては、ノアの日のようだ。わたしは、ノアの洪水をもう地上に送らないと誓ったが、そのように、あなたを怒らず、あなたを責めないとわたしは誓う。たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。」とあなたをあわれむ主は仰せられる。

なんということでしょう。 洪水後の人類の再出発の最初の日から、神は全焼のいけにえ=イエス・キリストを私たちのために用意しておられました。まだノアの第一日が終わってもいないのに!人の心は初めから悪ですが、神の心は初めから愛です。

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(1ヨハネ4:10)」

8:22 地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」

朝の来ない夜はありません。春の来ない冬はありません。一日が繰り返され、四季が繰り返されていることは、ノアの日に示された神の愛と真実が今日も変わることがないことを示しているとわかり、感謝せずにはいられません。