創世記41章1節~45節「ミスター・プレジデントへの階段」

創世記 41:16  ヨセフはパロに答えて言った。「私ではありません。神がパロの繁栄を知らせてくださるのです。」

奴隷から囚人へと、奈落の底まで突き落とされたヨセフが、やっと監獄から出てきて、しかも王の前に立たされます。

ここで手柄をあげて、王の心を掴んでしまえば、恩赦を勝ち取ることができます。これほど自分に有利に事を進められるチャンスはありません。私ならこの絶好の機会を自分のために利用したと思います。

ヨセフはこれを自分の手柄にはしませんでした。すべてを神に帰しました。

ヨハネ 8:50  しかし、わたしはわたしの栄誉を求めません。それをお求めになり、さばきをなさる方がおられます。

ヨセフは、自らが神だと思っているエジプトの王の前で「これをなさるのは神です」と語り続けます。ヨセフはただの囚人です。パロを怒らせれば、殺される危険がありました。

さらにヨセフには、神にまっすぐな霊性だけでなく、国の繁栄のための政策を提言するビジネスセンスもありました。

このことはパロにヨセフを「神の人」であると認めさせ、家臣たちに「ヨセフを宰相にするがそれでよいか」と言わせるまでに至ります。

創世記 41:38-40  そこでパロは家臣たちに言った。「神の霊の宿っているこのような人を、ほかに見つけることができようか。」パロはヨセフに言った。「神がこれらすべてのことをあなたに知らされたのであれば、あなたのように、さとくて知恵のある者はほかにいない あなたは私の家を治めてくれ。私の民はみな、あなたの命令に従おう。

囚人がミスター・プレジデントになるというどんでん返しです。

ヨセフがすべてを自分の手柄にする浅ましい人間であったなら、パロは彼に指輪まで渡して自分の権威を譲ることはなかったでしょう。

人生最大の出世のチャンスに「これは私がしたことではありません」と私には言えただろうか。