創世記27章18~29節「悪魔の前に立ったヤコブ」

創世記 27:21  そこでイサクはヤコブに言った。「近くに寄ってくれ。わが子よ。私は、おまえがほんとうにわが子エサウであるかどうか、おまえにさわってみたい。」

27:24  「ほんとうにおまえは、わが子エサウだね。」と尋ねた。すると答えた。「私です。

マルチン・ルターが「私だったら怖ろしくなって肉を盛った皿を床に落としただろう」と言った緊迫のシーンです。

「本当にお前はエサウなのか」とヤコブの肌に触れるイサク。私はここに、忍び寄るサタンの魔の手を感じました。ぞくぞくっと身の毛がよだちます。

ここでイサクにヤコブの正体がばれてしまうと、神の祝福はエサウに奪われるところでした。霊的な戦いです。

ヤコブはサタンの前に立ち続けました。どんなにか怖ろしかったでしょうか。よく立っていられたと思います。

イサクは見て、触り、聞き、食べ、嗅ぎました。自分の五感のすべてに頼りましたが、神のことばに聞き信頼することはありませんでした。リベカとヤコブが神の約束を信じ行動に移したのとは対照的です。アダムとエバも神の言葉より自分の感覚に頼って失敗しました。

「わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加えよう」という神の確かな御声と、「おまえは本当に神の祝福を約束された者なのか」と疑いを抱かせ誘惑する悪魔の迫る声。どちらの声を聞くのか、試練に立たされる時が来ます。