創世記26章14~33節「お帰りなさい、イサク」

創世記 26:23-25  彼はそこからベエル・シェバに上った。主はその夜、彼に現われて仰せられた。…イサクはそこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。彼はそこに天幕を張り、イサクのしもべらは、そこに井戸を掘った。

イサクは富み、栄え、裕福になりましたが、その豊かさは周囲との間で軋轢を生むだけでした。父アブラハムのしもべたちが掘ったすべての井戸はふさがれ、イサクのしもべたちが掘る井戸も次々に争いを生みます。

開いていた本が閉じられていくように人生の扉が次々と閉じられていく。これは神様がなさっていることです。

イサクはついに父アブラハムの信仰の原点であるベエル・シェバに戻る決心をします。神の元に帰ったのです。おかえりなさい、イサク。

彼はそこで7つ目(シブア)の井戸を再発見します。7は完全数。人間の努力を6つ重ねた後、神にたどりつきました。

そこから人生の新しいページが開き始めました。アビメレクとの和解と平和協定。神は同じように富と祝福をくださいましたが、周囲からの見られ方は完全に違っていました。「私たちは、主があなたとともにおられることを、はっきり見たのです。…あなたは今、主に祝福されています。」

そして、飛び込んできた良き知らせ。掘り当てた井戸から、生ける水が湧き出ました!

創世記 26:32  ちょうどその日、イサクのしもべたちが帰って来て、彼らが掘り当てた井戸のことについて彼に告げて言った。「私どもは水を見つけました。」

私たちがいるべきところは神がおられる場所です。自分のために掘る井戸は水をいつまでもためておくことができませんが、神が備えてくださる井戸からは湧き水があふれ出ます。そこにはいのちの泉であるキリストがおられるからです。