創世記 29:1-3 ヤコブは旅を続けて、東の人々の国へ行った。ふと彼が見ると、野に一つの井戸があった。そしてその井戸のかたわらに、三つの羊の群れが伏していた。その井戸から群れに水を飲ませることになっていたからである。その井戸の口の上にある石は大きかった。群れが全部そこに集められたとき、その石を井戸の口からころがして、羊に水を飲ませ、そうしてまた、その石を井戸の口のもとの所に戻すことになっていた。
29:7,8 ヤコブは言った。「ご覧なさい。日はまだ高いし、群れを集める時間でもありません。羊に水を飲ませて、また行って、群れをお飼いなさい。」すると彼らは言った。「全部の群れが集められるまでは、そうできないのです。集まったら、井戸の口から石をころがし、羊に水を飲ませるのです。」
29:10-12 ヤコブが、自分の母の兄ラバンの娘ラケルと、母の兄ラバンの羊の群れを見ると、すぐ近寄って行って、井戸の口の上の石をころがし、母の兄ラバンの羊の群れに水を飲ませた。そうしてヤコブはラケルに口づけし、声をあげて泣いた。ヤコブはラケルに、自分がラケルの父のおいであり、リベカの子であることを告げたので、彼女は走って行って父に話した。
井戸に集まった男たちが数人でやっと動かせる重い石の蓋をヤコブは一人でころがし、男の羊飼いたちを差し置いて、ラケルの羊の群れに真っ先に水を飲ませました。そして彼女に口づけし、号泣し、自分の身元を明かします。なんともドラマチックな求愛のシーンです!
ラケルの羊の群れにヤコブが水を飲ませるまでに「石をころがす」というテーマが三度も繰り返して語られます。聖書が同じことを三度も語るとき、決して無駄に繰り返したのではないと思います。その石は重く、容易にころがすことができず、全部の群れが集められるまでは決して動かされることはなかったのです。
「石をころがす」ー新約聖書ではたった一か所にしか書かれていません。イエスの墓を封印していた石を主の使いがころがしたのです。
マタイ28:1-3 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。
イエスの墓は、三重に固く封印されていました。ローマ法と死と悪魔とによって。石の固き封印が解かれるまではヤコブの井戸(ヨハネ4章)から命の水を汲むことができません。私たちの心を固く封印する石を主の使いがころがしてくださるように。