創世記15章17~21節「アブラハムが見た雲の柱、火の柱」

創世記 15:10,11  彼はそれら全部を持って来て、それらを真二つに切り裂き、その半分を互いに向かい合わせにした。しかし、鳥は切り裂かなかった。 猛禽がその死体の上に降りて来たので、アブラムはそれらを追い払った。 

創世記 15:17,18  さて、日は沈み、暗やみになったとき、そのとき、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎた。 その日、主はアブラムと契約を結んで仰せられた。

アブラハムは主との契約を結ぶ準備を万全に整えましたが、待てども待てども主は降りてきませんでした。代わりに降りてきたのは契約のじゃまをする猛禽(=悪霊)でした。

アブラハムは懸命に猛禽を追い払いましたが、いよいよというときになると、アブラハムは深い眠りに襲われます。主が降りてこられたのは、日が完全に沈み、暗闇になったときで、アブラハムは眠っていました。主の前に「死んでいた」といってもいいと思います。私たちにはもう何もする力もないというときになって、主は降りてこられます!

そのとき、アブラハムが見たのは、イスラエルの民を導いた「雲の柱、火の柱」である主御自身でした(出エジプト13:21,22)。

アブラハムは契約の当事者として義務を一切負っていません。アブラハムには何もする力もなかったからです。契約を履行する義務を負われたのは主です。アブラハムは、契約を締結される神の御姿を見て信じるだけでした。契約は、アブラハムの行いにはよらず、神からの一方的な恵みによったのです。

ローマ 4:13  というのは、世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいはまた、その子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰の義によったからです。 

アブラハムは土地相続の確かな証拠を主に求めていました(8節)。その答えがこの無条件契約です。主は約束しただけでなく、約束したことを必ず実行に移されます。私たちに必要なのは約束を守ろうと努力すること(律法の力)ではなく、主の御約束の実現を待ち望み、ただ信じる忍耐と信仰だけです。自分のわざではなく、信仰の土台を主の確かな御約束にしたいと思います。