創世記37章1節~11節「苦難を受け継ぐ」

創世記 37:4,5  彼の兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、彼と穏やかに話すことができなかったあるとき、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった

身近な仲間が愛され、成功する姿を見ながら、自分の中に妬みが起こり、心が穏やかでないことがあります。兄弟たちのヨセフへの妬みはピークに達し、ついに殺害の意志を燃やすに至ります。

ヨハネ 11:53  そこで彼らは、その日から、イエスを殺すための計画を立てた。

ヤコブの苦難はヨセフの苦難となり、ヨセフの苦難はキリストの苦難として完成します。

しかし、聖書はキリストの苦難はまだ完成していないとも語っています。

コロサイ 1:24  ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。

いったいキリストの苦難に欠けたところなどあるのでしょうか。

私たちは世のものではないから、世に憎まれます。キリストの苦しみをこの身に受けます。キリストの苦難は、私たちがこの世で受ける苦難として受け継がれ、そのなお欠けているところ、なお足りないところを満たしていきます。それが試練に耐え忍ぶ教会の姿であると思います。労苦が続く土浦でのチョン先生や兄弟姉妹の開拓の働きを覚えて感謝します。