創世記25章1~18節「その信仰によって、今もなお語っている」

創世記 25:7,8  以上は、アブラハムの一生の年で、百七十五年であった。アブラハムは平安な老年を迎え、長寿を全うして息絶えて死に、自分の民に加えられた。

「以上は、」

これはたいへん重たい言葉だと思います。私たちの人生もいつか「以上は、あなたの人生であり、」と総括される時が来ます。そのとき、ふるいにかけられて何が残っているのでしょうか。何をこの世に残すでしょうか。

「長寿を全うして」

歳月を満たして(満足して)とも訳せるそうです。アブラハムは、カナンの地にやって来て、足の踏み場となる土地さえ所有することができずに一生を終えましたが、彼の生きた歳月は神の前に満足のいくものだったに違いありません。

使徒 7:5  ここでは、足の踏み場となるだけのものさえも、相続財産として彼にお与えになりませんでした。それでも、子どももなかった彼に対して、この地を彼とその子孫に財産として与えることを約束されたのです。

「自分の民に加えられた」

アブラハムは将来の自分の民が必ずや、このカナンの地を所有してここに埋められるのを信じて(先取りして)妻サラとともにマクペラのほら穴に埋められた最初の族長であったにもかかわらず、あえて「自分の民に加えられた」と言いました。

アブラハムはその偉大な信仰のバトンを次の世代に渡して世を去りましたが、その信仰はいまなお語り続けられ、生き続けています。

ヘブル 11:4  彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。

自分も世を去る日にそのように言われる人になりたいと思います。