創世記24章61~67節「見たことはないけれども愛しており」

創世記 24:61,62  リベカとその侍女たちは立ち上がり、らくだに乗って、その人のあとについて行った。こうして、しもべはリベカを連れて出かけた。そのとき、イサクは、ベエル・ラハイ・ロイ地方から帰って来ていた。彼はネゲブの地に住んでいたのである。

しもべがリベカを連れて出かけると、イサクが帰って来ていて、リベカに会います。美しいイサクとリベカの結婚のシーンです。

これは、聖霊が教会をしみやしわが何一つない、聖く傷のないもととして整え、昇天したキリストが地上に戻ってこられるとき、キリストの花嫁として立たせてくださる、小羊の婚礼を表しています。

黙示録 19:7  私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。

リベカはイサクの顔も姿も見たことがなかったのに、イサクに会う日を夢見て心を躍らせました。後のヤコブのような恋愛結婚もすばらしいですが、主の約束だけを信じる結婚は美しいです。リベカのように、私たちはキリストを見たことはないけれども愛しており、言葉に表すことのできない喜びに満たされています。

1ペテロ 1:8  あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。

マラナタ。主よ、来て下さい。その日を心待ちにして、聖霊が与えてくださる「いのちの水」によって、自分を聖く保ちます。

黙示録 22:17  御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください。」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。