本書の原書は牧師先生の古い書棚から見つけました。色あせてへりがいたんだその小冊子は、一九五三年にムーディ聖書学院が出版したものです。著者のケッチャム師は、当時のアメリカの教会に抗しがたい影響力を奮い始めた近代主義に対して、徹底して立ち向かい、一九三二年にGARBC(General Association of Regular Baptist Churches)を組織し、根本主義の立場を貫いたことは、よく知られています。師はペンをとって、論敵に挑み、多くの書物、パンフレット、論文等を残されました。しかし闘いの背後には、近代主義におもねり、聖書の教理を離れていった信仰の友のために、師が流された涙があったことは想像に難くありません。
すべてのことにおいてキリストを最優先にした信仰生活は、師が若い頃、生涯の聖句にする決意をされたコロサイ一章一八節のみことばの通りでした。神の言葉に深く教えられた師が、豊かな経験から語る説教には、多くの人々が深い感銘を受け、なぐさめられ、励まされてきました。本書の詩篇二三篇の講解は、そのような師の説教の一つです。
ケッチャム師の書かれたものが日本語で出版されるのは、おそらくこれが初めてのことです。訳書を完成させるまでには、多くの方々の助けと祈りの支えがありました。とりわけ、版権取得のため労してくださっためぐみバプテスト教会のリチャード・リッチ宣教師・牧師、訳書の査読をしてくださった湯浅修先生、また米国留学のお忙しい中、本書の後半の翻訳をしてくださった伊豆洋一先生に心から感謝申し上げます。
本書の説教が、その語られた年代の古さを感じさせることなく、現代に生きる私たちの心を捉えるとすれば、それは、師が本書の中で、繰り返し述べられ、強調されたことが現実のことであるからです。すなわち、私たちの羊飼いであるキリストが、私たちの経験の真っ只中に来てくださり、私たちを休ませ、力づけ、励まし、慰め、安らぎを与えてくださるという現実は、いつの時代であっても変ることがないからです。
キリストにある現実の力と祝福をいまだ知らない人々が、本書を通して、キリストを知るようになり、主の御手にある、そしてこの世が決して与えることのできない喜びと恵みを受けられることを、祈り願いつつ、本書をささげたいと思います。
「知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。」(詩篇一〇〇篇三節)
主の一九九九年九月聖日
東京都多摩市
青木武司